“こあっぱれ” blog
日々の小さな“あっぱれ”と老母介護のあれやこれや
こあっぱれ

プリンシプル

2023年8月 千葉県柏市に ”ザ・ナイン” と呼ばれている英国の伝統ある名門パブリックスクール9校の内の一つ ”ラグビー日本校” が開校されるそうです

“ラグビー”の発祥地名のこのインターナショナルスクールは ”世界で活躍できる若者、例えば ”白洲次郎” を早急に100名育て上げることを目標とする” なる記事を目にしました・・・

また半年ほど前に ”日本独立” というビデオを見たことで、吉田茂首相に乞われて第二次大戦後のGHQとの交渉に活躍した”白洲次郎”の逸話は知っていたのですが、ここにまた聞き及んだことで晩年を過ごしたという家 ”武相荘(ぶあいそう)” を是非見たくなり出かけてきました・・・

”武相荘” は小田急線 ”鶴川駅” から歩いて1Kmほどの閑静な場所にあります・・・

移り住んだ昭和18年頃 “武蔵(むさし)” の国と “相模(さがみ)” の国の中間に位置する当たりということから愛称を ”武相荘(ぶあいそう)” と名付けたそう・・・

神戸の裕福な家庭に育った次郎に17歳の時に父親から買い与えられたという車・・・

ある意味ボンボンだったんですよね・・・日本で初めてジーンズをはいたと言う逸話も・・・身長も185cmあったそうなのでずいぶんモテたでしょうね・・・

1916年型ペイジ Six-38 の同型車・・・

若くしてケンブリッジに留学した次郎は欧米の生活や文化、習慣を学び自分なりの考えを形成をするようになったんですね・・・

また樺山伯爵家の次女として生まれた”正子(まさこ)” もアメリカへの留学経験があり、似た環境で育った二人は次郎27歳 正子19歳で結婚したんですね・・・

外国を知る次郎は大戦の敗北を予想してこの田舎での細々した生活を選んだのですが、英国で共に語らったことがあった当時外務大臣、後の総理大臣となった吉田茂が終戦後のGHQとの交渉役というに舞台に引っ張り出しました・・・

”自分の信じた原則(プリンシプル)には忠実でまことうるさいことであった” と晩年正子夫人が語っていたそうですが、その考え方がアメリカをも困らせ日本の独立した行く末を陰で支えたということなんでしょうね・・・

次郎83歳正子88歳まで過ごしたこの茅葺屋根の住居は、2001年夫婦の長女牧山桂子(かつらこ)さんが館長となりここでの生活模様を保存することにしたそうです・・・

ミュージアムになっている住居の展示室は写真撮影NGだったのでパンフレットより写真お借りしました・・・

持ち物は一流品を好みながらも生活自体は意外と質素な暮らしであったことが見てとれます・・・

レストラン&カフェでは次郎が好んだという食事も提供されているそうです・・・

当時としては洒落たものをいち早く手に入れて使ってみていたんでしょうね・・・

庭の散策路は、この日は老木の伐採作業の為閉鎖されていたので雰囲気のみで・・・

さて ”白洲次郎” のような人とはどんな人なんでしょう・・・

相手のことを良く知らなければもちろん交渉も出来ませんが、その前に自身・自国のことを良く知り、江戸時代は目を伏せ目がちにして話すのが日本人の礼儀でしたがそれでは自信の無さと受け取られるので、相手の目をしっかり見て話をする・・・そして中途半端に妥協するのではなく自身の信じるものを貫きながら糸口をさぐる・・・

そんな未来を託す有能な子供たちが育ってくることを期待したいものですね・・・