南三陸から海岸線を通って女川まで向かいます
サンサンと輝く太陽のように・・・と名付けられた ”南三陸さんさん市場”
飲食店やお土産屋28軒が軒を連ね この時期は ”キラキラ丼” が人気ですが朝9時のこの時間にはまだお客さんは居ません・・・
さんさん市場の隣にあるのが ”南三陸311メモリアル” です・・・
設計はやはり隈 研吾氏で2022年の10月1日にオープンしたそう・・・
館内には手作りの震災前の賑わう南三陸町のジオラマもあります・・・
メモリアルを出て公園へ渡る橋も鉄材を覆うように木材が使われ 温かい感じがします・・・
南三陸旧防災庁舎”の遺構・・・
さび止めが塗られたのか綺麗すぎてちょっと不釣り合いな感じがしますが・・・
こちらの公園もすべてがリセットされてしまった一画です・・・
南三陸町を後にして海岸線を女川方面に進みます・・・
途中”名勝 神割崎” に立ち寄ります・・・
伝説によるとこの浜に大クジラが打ち上げられた時 長清水浜と隣の十三浜村という二つの村の境がはっきりせずクジラの取り合いから争いが起こったその夜、岬がまっぷたつに割れ クジラも2つに割られてしまったという・・・
村人は神様が岬を割り 諍いの仲裁をしたと信じ、以来この岩の割れ目が村境となったと伝えられていて現在も南三陸町と石巻市との境界になっているそうです・・・
ちょっとホッコリしてさらに海岸線を進みます・・・
川幅の広い北上川に架かった新北上大橋を渡った先に現れたのが ”震災遺構 大川小学校” の校舎です・・・
この日は大型バス2台に分乗した学校の先生達がたくさん視察に来ていました・・・
石巻市立大川小学校では全校生徒108名、当日休みや地震後父兄が迎えに来た生徒を除く学校の管理下にあった生徒78名中74名、教師11名中10名が津波で亡くなりました・・・
大川小学校は海に面してはおらず、河口からは3.7km離れた北上川沿いに立っていました・・・
地震から約50分後に津波が北上川をさかのぼって来て約9mの津波となって小学校を飲み込んでしまったんですね・・・
震災後の検証で地震が発生してから約40分間、先生と生徒たちは校庭で避難をするための待機をしていたそう・・・そして山ではなく道の方への避難を行い始めた1分後に津波に襲われたそうです・・・
大変失礼ながら田舎の学校としてはオシャレな作りの校舎跡が余計胸を締め付けます・・・
震災後 生徒の遺族が学校側の防災体制に不備があったとして市と県を訴えました・・・
生き残った人の証言を聞き取りながら刻一刻 50分間に何があったのかの検証がされたそうです・・・
当時 市のハザードマップで大川小は津波の浸水想定区域外だったそうです・・・また基本的に学校は災害時の避難場所となることから判断に迷ったのでしょうか・・・
裁判でも問題になった学校校庭のすぐ後ろにある裏山・・・
当時の現状を知るべくもなく迂闊なことは語れませんが、ここを登って避難するという判断を何故しなかったのかが議論となりました・・・
裏山の柵フェンス上には津波の到達点の標識が・・・
裏山を登り 土留めをしたコンクリートテラスから見た校舎跡・・・
結果からすれば津波はここまでは到達しなかったんですね・・・
重い思いを感じながら美しい海を見つつ海岸線道路を進んで女川の街に到着しました・・・
この光景は4月に見たばかりですがなぜか懐かしく感じますね・・・
前回は訪問時間帯のせいもあり 人がいなくて寂しく感じた ”シーパルピア女川” もこの日はちょっと込み合っていました・・・
前回は時期を逸して食すことが出来なかった牡蠣でしたが蒸し牡蠣があるとのことで・・・
こんなに大粒な岩牡蠣が1粒220円・・・ありがたや・・・
今回の旅はこれにて終了です・・・また感じるものと出会ってしまったら出かけてしまうかも知れないですが・・・
End