“こあっぱれ” blog
日々の小さな“あっぱれ”と老母介護のあれやこれや
こあっぱれ

青森・道南の旅 その5

”寿都(すっつ)” の町を後にしてこの旅のメイン ”積丹半島” に入ります

朝の散歩時の “寿都神社” ・・・

人影がなく澄んだ空気が流れているような気がします・・・

短い “寿都町” での滞在で ちょうど夏祭りが終わって一段落のせいか 閉っている商店も多くて今回は残念ながら祖父の軌跡に触れることはで来ませんでしたが 小じんまりしながらも 美しく そして逞しく前向きに進もうとする町を見とめることができましたね・・・

こちらは 寿都湾の対岸位置にある “橋本家 “の “旧鰊御殿”・・・今は蕎麦屋さんとしてリニューアル営業されているそうです・・・

こちらも対岸地区に立つ “風力発電施設” ・・・

“寿都町” は全国有数の強風地帯という特性を活かして全国の自治体で初めて風力発電を取り入れた町なんだそうですね・・・

 

途中 積丹半島の左下に位置する ”泊(とまり)村 ” にある “鰊御殿とまり” へ立ち寄ります・・・

こちらは明治時代にニシン漁で全盛を極めた “旧川村家” と “旧武井家” の屋敷の一部をリニューアルし資料館として公開しているのだそう・・・

鰊番屋では親方と漁労時に雇った漁夫との共同生活の様子などが説明されています・・・

そして ずっと疑問だったのですが 今のような “冷凍技術” の無い時代に一度に大量に取れてしまった魚をどのように処理していたのだろうか? ということなんですね・・・

親切に説明してくれた館長さんによると・・・

①捌いた魚は日干しにして保存が効くようにして出荷した

②塩漬けされた “数の子” は当時から高級食材として 京都や大阪で人気だった

③茹でたニシンを絞って “魚油” として全国に出荷した

④魚油を採取した搾りかすは “肥料” として利用されていた

のだそうです・・・

ニシン漁の最盛期は4~6月の3ヶ月ぐらいのみだったそうで その3ヶ月間に全国から出稼ぎの漁夫が集まり 1年分の稼ぎを上げていたそうで 現代の価値でいうと1日の売り上げが5億円という時代もあったそうな・・・

財力があったので祝言なども豪華に行われていたそうなんですね・・・

いよいよ 積丹半島の突先 ”神威(カムイ)岬” に到着です・・・

岬の尾根伝いに続く遊歩道で先端の灯台地点まで約15分ほどで行くことができます・・・

交通の不便なところで さぞかし人が少ないと思いきや・・・大型バスが何台も到着していてどうも台湾やフィリピンと思える観光客さんで遊歩道は混雑してます・・・

 

透明度が高い ”積丹ブルー” の海・・・

南の島の海の ”青” とはまた違うまさに独特の ”積丹ブルー” なんですね・・・

先端に立つ ”神威岩”・・・

ここでも 平泉で自害したとされる ”源義経” が実は生き延びていて 蝦夷地(北海道)に渡った義経主従はアイヌの長(おさ)の許に身を寄せたという伝説があるんですね・・・。

やがて長の娘である “チャレンカ” は “義経” と恋仲になったのにも関わらず “義経” が中国大陸を目指して旅経ってしまったため 失意の “チャレンカ” は神威岬で身を投げてしまったという・・・

以来 “チャレンカ” の愛情は嫉妬となって 女性を載せた船が岬沖を通ると沈没してしまうという言い伝えや 岬への入場も “女人禁制” となっていた時期もあったそうなんですね・・・

さて “神威岬” 観光を終えて 車で10分ほど離れたところにある宿に向かいます・・・

本日のお宿は ”なごみの宿 いい田” さんです・・・

こちらが今回の旅のメインで “ウニ” が提供されるこの時期は予約が取れないとのことで 今回は1月に予約を入れてましたっけ・・・

この土地の網元が建てた築百年の建物をリニューアルしたといい こじんまりとした温かみの感じるお宿です・・・

取れたて新鮮な “ウニ” は塩水で軽く洗っているそうで甘く何とも言えない食感で美味しいです・・・

こんな量を食べるのも初めてですが 上の “生うに2倍プラン” でオーダーすると ”ザル” に入った大量のウニが提供されるのもこちらの ”売り” なんですね・・・

食事の最後にはごはんにウニを載せて ”ウニ丼” にして味わいます・・・

オーナーシェフの心のこもった御もてなし料理を楽しませていただきました・・・

さて いよいよ終盤・・・明日は ”洞爺湖” へ移動することにします・・・