これから向かう “萩” “津和野” は高校の修学旅行で行く予定だったのですが体調を崩して旅行に行けなかった経験があります

 

前日宿泊した “江津(ごうつ)” の街から山口県 “萩” の街までは車で2時間ほどかかりますが 途中で寄り道をすることにしました・・・

2018年に “日本ジオパーク” に認定されたという国指定名勝 “須佐湾” にある “須佐ホルンフェルス”です・・・

白と黒の層が美しい “須佐ホルンフェルス” は 約1500万年前のマグマの熱を受けて誕生したといわれており海底に堆積した 白は 海底に堆積した”砂” 黒は “泥” の層が変性してでき上ったものだそう・・・

さて これから向かう “萩” の街近くには世界遺産がたくさんあるので駆け足で回ることになりますね・・・

最初に訪れたのは “萩 反射炉” です・・・

“反射炉の遺構” が現存するのは “韮山反射炉”と “旧集成館” “萩” の3ヶ所のみだそうですね・・・

幕末に “萩”藩が海防強化のため “佐賀” 藩の反射炉のスケッチから 玄武岩とレンガで試作的に築いた反射炉の遺跡” ・・・

実際には技術が追いつかず使用されなかったと考えられているそうです・・・

“萩反射炉” のすぐ近くの入江にあるのが “恵美須ヶ鼻造船所跡” です・・・

嘉永6年(1853)のペリー来航以降 対外的危機感を強めた江戸幕府は これまで禁じていた大船の建造を諸藩に許した・・・これを受けて”萩藩” はここで “丙辰丸(へいしんまる)” と “庚申丸(こうしんまる)”の2隻の洋式木造帆船を建造したそう・・・(※これ以外に幕末に活躍した船は癸亥丸(きがいまる)がある)

つづいて向かったのが “松下村塾” “松陰神社” ・・・

まずは “松陰神社” に参拝・・・

幕末の獅子を多数輩出した “吉田松陰” 先生の私塾 “松下村塾” ・・・

こちらは “松陰先生” が 安政元年(1854) 伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗し実家に戻された際に謹慎生活を送ったという幽囚(ゆうしゅう)の部屋・・・のちに “松下村塾” を主宰することになるんですね・・・

そしてすぐ近くには “青年時代を過ごした” という “伊藤博文旧宅”が・・・

城下から離れた場所 そして意外と質素な家だったんですね・・・

旧宅の隣には 晩年 東京の大井村に建てた別邸の一部が平成10年に移築されたそうです・・・

今風で見れば決して派手ではない住宅ですが 当時の最高の素材と技術で完成された別邸ですが “伊藤博文” はこの別邸に住むことなく暗殺されることになるんですね・・・

画像は樹齢1000年の吉野杉を使った一枚天井板・・・

(※ この “天井板” を見た時 東京に戻ったら西大井のあたりを散策して もう少し “伊藤博文” のことを知りたいと思ったんですね・・・)

これ以降は “萩” 街中を散策するのですが 車は先に本日のお宿に止めさせてもらうことにします・・・

本日のお宿 “萩一輪” は “萩城” のすぐそばにあるんですね・・・

旅館を出て 道でこれからの行動を確認しようと市内地図を見ていると 年配のひとりの紳士が “どこかお探しですか?” と声をかけてきてくれました・・・

“萩城は天守が無いのですが 皆さん石垣に上がって喜んいらっしゃいます” “萩城下は “城跡” “旧上級武家地” “旧町人地”と分かれていてそれぞれに見どころがありますよ” とのこと・・・いかにも “旧上級武家地” にお住いの方のような佇まいだったのですが “もし時間があればここから8kmほどですが “笠山展望台”がこの時期綺麗ですよ” と教えてくれました・・・

萩城は慶長9年(1604)に “毛利輝元” が指月山麓に築城したことから 別名 “指月城”とも呼ばている城なんですね・・・

やっぱり天守の無い石垣に登ってしまいます・・・

城下をサクッと散策・・・

このころから風が強くなり 空気も冷たくなってきました・・・

“高杉晋作” 誕生地・・・

“伊藤博文旧宅” で薦められた “萩博物館” ・・・

萩の歴史文化発信拠点として”吉田松陰” “高杉晋作”をはじめ幕末維新関連の資料が展示されてますが 館内は写真不可で時間無ければ飛ばしてしまってもよかったかも・・・

萩藩校 “明倫館” で 平成26年3月まで授業が行われていた旧明倫小学校校舎が萩の観光起点 “萩・明倫学舎”に生まれ変わったそう・・・

“無料”部分の 藩校の貴重な遺構と跡地に建つ日本最大級の木造校舎には 時代を語る”物語” が備わっています・・・

“有料” の学舎はほとんどが写真不可で 歴史的展示も面白かったのですが 閉館間際となってしまい スタッフさんに急き立てられてしまって残念・・・

もし もう一度来る機会があればゆっくり見てみたいところでしたね・・・

幕末期の 時代の流れを 読み日本を作った “長州ファイブ”・・・(※記録的に記しておきます)

“伊藤博文” 初代5・7・10代の4度にわたっての総理大臣を務めた “大日本帝国憲法” 起草の中心人物

“山尾庸三(やまおようぞう)”  日本最初の実務技術養成機関である “工学校” の創設に尽力し これはのちの “東京大学工学部” の前身となった

“井上 薫”  “農商務大臣・内務大臣・大蔵大臣””などの要職を歴任

“井上 勝(野村弥吉)” ”鉄道の父” と言われ新橋横浜間の開道に始まり日本の鉄道開業に尽くした(※松下村塾生ではない?)

“遠藤謹助(えんどうきんすけ)” ” 造幣の父”

 

“吉田松陰” 先生が描いた世界観を引き継いだ生徒たちなどが幕末からの日本を大きく変えていきました・・・ ”伊藤博文” は日本初の首相となりましたが塾生時代には “松陰” 先生は彼を “才劣り 学幼し しかし 性質は素直で華美になびかず 僕すこぶる之を愛す”とし 彼を “周旋家(※当事者同士の間に立ち 売買や雇用の話がまとまるよう取り計らう人)” と評価していたそうです・・・現に “伊藤博文” は時代を読み 一人に忠義を尽くすでなくその時々に “恩師” を変えながら自身を高め頂点へと昇りつめていったという・・・

もし私が高校の修学旅行で このような歴史的背景を勉強し理解することがあったのならば “己の未来も違っ方向にいったかも知れない” と考えさせられた今回の旅でした・・・

さて 盛り沢山の観光を終え これで旅館に戻ることにしますが・・・

“萩一輪” さんは 朝食付きのプラン で夕食はどこか街中でと考えていたのですがあまりの寒さと 飲食店のあるエリアが遠く これから探すことに疲れ果ててしまったので “こちらで夕食が食べれないか” と交渉すると19:30なら可能とのこと・・・本当に有難かったです!・・・

お部屋はこんな感じ・・・普段 “ビジネスホテル” 利用の多い私としては持て余してしまうほどの広さですね・・・

お得なプランで 部屋からの眺望が無かったのと 大浴場がちょっと古さを感じましたが従業員さんは皆親切で居心地の良い旅館でした・・・

夕食時 地酒 “利き酒マシーン” のお酒は食事会場に持ち込みOKとのことでこれまた “うれしい!” 配慮ですね・・・

“旅館” でゆっくりとした美味しい食事と時間を楽しむことができました・・・

そろそろ こういうスタイルの “宿の過ごし方” もいいかも知れないですね・・・

明日は最終日で “津和野” に向かいます・・・