“出雲大社” より車で小一時間で “石見銀山世界遺産センター” に到着しました

 

“石見銀山” が “世界遺産” に登録されたのは平成19年(2007)で 令和9年(2027)には世界遺産登録20周年と石見銀山が発見されてから500年になるそうなんですね・・・

“最近” というイメージで20年も経っているなんて思いもしなかった・・・

お恥ずかしながら “石見銀山” は下調べが良くできていなくて 見どころが広範囲になるとは理解していたのですが “石見銀山世界遺産センター” で調べてみればいいやと軽く考えていました・・・

センターでもらった地図ではスタート地点は “代官所前ひろば” か “石見銀山公園” でどちらも駐車スペースは少なく駐車できるかどうかはわからないとのこと・・・

路線バスも本数が少なく たまたま5分ほどで発車するバスがあったので “石見銀山公園”まで乗ることに・・・

“石見銀山公園” からメインの “龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)”までは約2.3km片道徒歩で45分ほどかかるとのこと・・・

観光案内所でたまたまガイドの人にお声がけいただき ワンコイン(500円)でガイドをお願いすることに・・・

ここ “石見銀山” は安土桃山時代から江戸時代初期にかけては日本の銀産出量のほとんど 世界全体量の3分の1を占めるほどだったそう・・・

“世界遺産” 登録になった初期のころは マイクロバスが走り渋滞も発生していたそうですが 車が通らなくなった今は 昔のような面影はなく どちらかというと閑散とした感じだそう・・・

時折 “代官所前ひろば” でレンタルした “自転車” や小道を往復している “電動カート” に出会いますが確かに観光客は少ない感じですね・・・

石見銀山が世界遺産になった理由は・・・

① “16世紀から17世紀初頭の石見銀山が世界経済に与えた影響”

② “銀生産の考古学的証拠が良好な状態で保存されている”

③ “銀山と鉱山集落から輸送路 港にいたる鉱山活動の総体を留める” 事だそうです・・・

こちらでは採掘のために掘った穴を “間歩(まぶ)” というそうで “石見銀山” では大小1,000近くの間歩があるそうです・・・

利益を生む “鉱山” は当然取り合いになり江戸幕府となって管理されるまで何度となく戦(いくさ)があり その支配者が変わりましたが ここが戦場(いくさば)になることは無かったそう・・・誰もがその重要性と破壊された時の損失を理解していたんでしょうね・・・

メインの “龍源寺間歩” へやって来ました・・・

安全のためヘルメットを着用します・・・

掘削方法は鑿(ノミ)と槌(つち)を使った手掘りであり暗い坑道は サザエの貝殻に油を入れたものに燈心を差して火を灯したものを使っていたそう・・・

鉱夫の給金は比較的良かったそうですが その分過酷な労働条件で 粉塵を吸ったり 溶連の工程では鉛中毒になったりと30歳まで生きられた鉱夫は長寿の祝いをしたという話も残っているそうです・・・

“鉱脈” 部分だけを採取したいのでなるべく他の部分を掘らず そのため人が作業できる最低限の空間を掘ったそう・・・

約15分ほど当時の坑道の見て銀がどのように採掘されたかを勉強しました・・・

こちらは “清水谷精錬所跡”・・・

当初は精錬技術が未熟で効率が悪かったところ 明治時代に山すその傾斜を利用して造られた先端技術の “製錬所遺跡”・・・巨額を投じて建造されたが わずか1年半で操業中止となったそう・・・

中間地点の石見銀山公園まで戻って来ましたが ガイドさんが丁寧に説明してくれたのと同行者も勉強熱心だったのでここまで3時間を要しました・・・

すでに夕方の閉館時間近くになってしまったのですがせっかくなので “大森銀山地区” も速足で歩いてみることにします・・・

“鉱山”に隣接して栄えた並みは “歴史的建造物” が多く残っていてそこには今も人々の生活が残っているんですね・・・

世界遺産 “石見銀山” はしっかり下調べしての訪問の必要性を認識させられました・・・

年月が経ちその存在を忘れがちになっている昨今 令和9年(2027)の “世界遺産登録20周年” で再度注目され賑わうことを期待したいと思います・・・

明日はいよいよ山口県 “萩” に向かいます・・・